The Great Gatsby 翻訳

F. Scott Fitzgeraldの傑作 "The Great Gatsby"の翻訳です。

The Great Gatsby 第9章

Chapter IX

 それから二年が経った今、その日の日が暮れるまでの時間は、その日の夜は、そして翌日は、ただ、警察と写真師、そして新聞記者がギャツビーの邸の表玄関を絶え間なく出入りする光景として憶えているだけである。正門にはロープが張られ、その傍で見張りをする警官が野次馬を追い払っていたが、小さな男の子たちはすぐに、私の家の庭から邸に入ることができるというのに気づいた。それで、プールの周りにはいつも男の子が何人か集まり、口をあんぐりと開けているのが見られた。その日の午後、堂々と振る舞う人があって――ひょっとしたら刑事だったのかもしれない――ウィルソンの遺体の上に屈み込み、これは「気狂い」の所業だという言い方をした。彼の声は偶然にも威厳を具えていたから、翌日の新聞報道は彼の語調をなぞることになった。
 そうした報道のほとんどは悪夢でしかなかった――おぞましく、詳らかで、煽情的で、そして事実に反していた。審問におけるミケイルスの証言によって、ウィルソンが妻に疑念を抱いていたことが白日の下に晒されたとき、私は、間もなく全貌が、際どい諷刺を込めて世間に供されるのではないかと思った。――しかし、キャサリンは、何か言えたかもしれないのに、口を噤んだままだった。彼女はまた、驚くべき芝居を打ってみせた。引き直された眉の下で検死官をきっと見据え、姉はギャツビーと会ったこともないし、夫と幸福に暮らしていた、したがって、彼女が不貞を働いたことは断じてないと神に誓って証言したのだ。キャサリンは自分をそのように思い込ませていた。姉への嫌疑そのものが耐えられないかのように、ハンカチに顔を埋(うず)めて泣いた。それで、ウィルソンは「悲しみで気が触れた」男ということにされてしまった。そこには、事件を最も単純な図式のままで片付けようという目論見(もくろみ)があって、実際、その線で事件は落着した。
 けれども、この部分は私からは遠く離れた、些末なことに思われた。気がついてみると私はギャツビーの側に立っていて、そしてひとりぼっちだった。私が電話で惨事の報をウェスト・エッグ村に伝えた瞬間から、彼についてのあらゆる憶測、そしてあらゆる実際的な質問が私に寄せられた。初めは、驚きもしたし、困惑もした。けれども、邸に安置され、動くことも呼吸することも話すこともないギャツビーを見ていると、私は刻一刻と責務を抱くようになってきた。他の誰も、関心を抱かなかったからだ――ここで私が「関心」と言うのは、烈しい情(じょう)のことで、人は誰しも死んだときには、他者からそれを寄せてもらう権利が(漠然とではあれ)あるはずだ。
 私たちが彼の遺体を見つけて半時間後に、私はデイジーに電話をした。本能に突き動かされるように、躊躇せずにだ。けれども彼女とトムはその日の午後の早い時間に出立(しゅったつ)してしまっていた。手荷物一式も携えてのことだった。
 「行き先の住所は残していきませんでしたか?」
 「いいえ」
 「いつ戻るかというのは言い残していったでしょう?」
 「いいえ」
 「どこにいるのか見当くらいはつくでしょう?どうすれば連絡をとれるでしょうか?」
 「存じ上げません。申し上げることもかないません」
 私は彼に誰かを呼んでやりたかった。彼が安置されている部屋に入って行って、こう言ってやりたかった。「君のために誰かを呼んであげるよ、ギャツビー。心配しないで。僕を信じてくれ。君のために誰かを呼んであげるよ――」
 マイア・ウルフシャイムの名は電話帳に載っていなかった。執事が、ブロードウェイにある彼の事務所の住所を教えてくれたので、私は電話局の番号案内係に問い合わせた。けれども番号が判明したときには五時を優に過ぎていて、誰も電話に出なかった。
 「もう一度かけてみてもらえませんか」
 「もう三回かけましたよ」
 「とても大切なことなんです」
 「お気の毒です。誰もいらっしゃらないようですね」
 私は応接間に戻り、ふと、こんなことを思った。職務のために突然来訪し、今では部屋を陣取っていた警察関係者や写真師、新聞記者らは、偶然の弔問客なのだ、と。けれども、彼らが遺体を覆う布を引き、平然とギャツビーの死顔を見ていると、私の頭の中では彼が抗議する声が響いた。
 「もうっ、オールド・スポート、誰かを連れて来てくれよ、私のために。頑張ってよ。独りでこんなのは、ちょっと無理だ」
 私に質問をし始める人が現れたので、席を外して二階に上がり、彼の机の、鍵がかかっていない引出しを素速く確認した――彼は、両親が死んだとはっきり口にしたことはなかった。けれども、手掛かりになる物は何もなかった――ただ、ダン・コウディの写真が――忘れられし暴力の記録が――私を壁から見下ろしているだけだった。
 翌朝私は、ウルフシャイムへの手紙を執事に預け、ニューヨークに遣(や)った。ギャツビーの御家族のことをお伺いしたい、貴君には直近の列車でいらしていただきたいとの旨をしたためた。それを書いたとき、そんな要請は余計なものに思われた。ウルフシャイムは新聞を目にしたら飛んでくるだろう、デイジーだって正午前には電報を寄越してくるだろう、私は そう確信していた。けれども、電報は来なかったし、ウィルフシャイム氏が弔問に来ることもなかった。警察関係者、写真師、そして新聞記者の数は膨らんだが、それ以外には誰も来なかった。執事がウルフシャイムの返事を持って帰って来たとき、私は、ギャツビーとの連帯を感じつつも、その他全ての人間に対し、敵愾心を、そして侮蔑に満ちた孤立の念を覚え始めた。


 ミスタ・キャラウェイ
 
 拝啓

 この度の訃報を受け、沈痛の極みでございます。未だに本当のことだとは信じられずにおります。あのような男の為した気狂いじみた行為を受け、私たち皆は考え込まずにはおられません。目下、極めて重要な事業に携わっておりまして、この事件に関係することがかないません。何かございましたら、後にエドガーに手紙を持たせてお知らせいたします。このような訃報を目の当たりにし、茫然自失しています。打ちのめされ、立ち上がれないような悲嘆に暮れています。

敬具

マイア・ウルフシャイム

 そうして、下には慌てて記したような追伸があった。

 葬儀等の件についてはお知らせ願いたく存じます。御家族のことは存じ上げません。
 

 午後に電話が鳴った。長距離電話の交換手が、シカゴからお電話ですと告げた。今度ばかりはデイジーだろうと思った。けれども、電話が繋がると、男の声が聞こえてきた。か細い、遠くから聞こえる声だった。
 「スレイグルだ」
 「はい?」その名前は聞いたことがなかった。
 「驚くべきニュースだぞ。俺の電報は読んだか?」
 「電報はまだ一通も来ておりません」
 「パークの奴が困ったことになってな」と彼は素速く言った。「あいつが銀行の窓口であの債券を売りさばこうとしたところを、警察がしょっぴいたんだよ。そのたった五分前に、債券番号が書かれた回状がニューヨークから届いていたようだ。参ったな。こんなつまらん町で、まさかの――」
 「もしもし!」私は息をつかずに電話口に向け、話を遮った。
 「いいですか――私はミスタ・ギャツビーではありません。ミスタ・ギャツビーは亡くなりました」
 受話器の向こうで長い沈黙があり、それから「あ!」という声が洩れたかと思うと、ガシャンという音がして通話が途切れた。


 ヘンリ・C・ギャツなる人物から電報が届いたのは、確か三日目だったと思う。発信地は、ミネソタ州のとある町だった。直ちに出発するから、到着まで葬儀は延期してほしいとの旨だけが書かれてあった。
 発信者はギャツビーの父親だった。厳粛な面持ちの老人で、まったく無力で、ひどく混乱しているように見受けられた。九月の暖かな日和であるというのに、安物の長コートを纏(まと)っていた。昂奮して、絶えず涙を零(こぼ)していた。鞄と傘を預かってやると、彼はまだらに生えた白い顎髭をひっきりなしに引っ張り始めたから、コートを脱がせるのに苦労した。今にも崩れ落ちそうだったので、私は彼を音楽室に案内して座らせ、その間に食事を取り寄せた。けれども、彼は食べようとしなかった。グラスを持つ手が震え、牛乳がこぼれた。
 「シカゴの新聞で読みました」と彼は言った。「事件の一部始終が書いてありました。それで、飛んで参りました」
 「ご連絡差し上げたかったのですが、連絡先が分かりませんでした」彼の両眼は何も見ていなかったが、部屋の中をずっと移ろっていた。
 「狂人の仕業です」と彼は言った。「気が狂っていたとしか思えません」
 「コーヒーを召し上がりませんか」と私は彼に促した。
 「いえ、何も欲しくありません。大丈夫ですよ、ミスタ・――」
 「キャラウェイです」
 「ああ、そうでした。私は大丈夫です。ジミーはどこにいますか?」
 私は彼を、遺体の安置されている応接間に案内し、一人にしてやった。小さな男の子が何人か、階段に集まって玄関ホールを覗き込んでいた。私は、今は亡くなった方のお父様がお見えだからと言った。子供たちは渋々その場を立ち去った。
 少ししてミスタ・ギャツが扉を開けて、部屋の外に出てきた。口が少し開いていて、顔は少し紅潮していた。目に涙が不意にぽつ、ぽつと浮かんだかと思うと、きれぎれに零れた。彼は歳を重ねていたから、死というものに虚を衝かれ、慄然とさせられることはなかった。今や彼は初めて周りを見遣り、玄関ホールや、その周りに広がる、そしてさらの別の広間へと通じる大広間の、高い天井や壮麗な装飾を目にした。彼の悲しみは、畏怖の念を含んだ誇りと入り混じった。私は彼に手を貸し、二階の寝室に案内した。そこで彼がコートとヴェストを脱ぐ間、お見えになるまで葬儀の手筈はすべて遅らせていましたとの旨を伝えた。
 「どのような形式をお望みか分かりかねましたので、ミスタ・ギャツビー」
 「ギャツが私の名前です」
 「――ミスタ・ギャツ。ご遺体を西部に送るのをご希望されるかもしれないと思いました」
 彼は首を振った。
 「ジミーは常々東部の方を好んでおりました。身を立てたのも東部においてのことです。あなたは、息子の友達だったのですか、ミスタ・――」
 「親友でした」
 「あいつの前途は洋々としておりました。まだ若造でしたが、ここは切れた」
 彼は感無量といった様子で頭を触った。私は頷いた。
 「もしあいつが生きとったら、偉大な人物になっておったでしょう。ジェイムズ・J・ヒル(訳注:アメリカの鉄道王。1838-1916)のような。この国を興すのに一役買っておったでしょう」
 「その通りです」と私は言ったが、落ち着かなかった。
 彼は刺繍の入ったベッドカバーをまさぐり、それを取り外そうとした。そうしているうちに身をこわばらせて横になり、すぐに眠ってしまった。
 その夜、怯えきった様子の人物が電話をかけてきた。彼は、自分が名乗る前に、私に名乗るように迫った。
 「ミスタ・キャラウェイと申します」と私は言った。
 「ああ!」と彼は言った。安堵したようだった。「クリプスプリンガーです」
 私も安堵した。どうやらこれで、ギャツビーの墓前にはもうひとり来ると請け合えそうだ。新聞に葬儀の告知を載せて見物人を集めたくはなかったから、私は個人的に幾人かに電話をかけていた。電話する相手を見つけるのも一苦労だった。
 「葬儀は明日です」と私は言った。「三時に、ここギャツビーの邸にて執り行います。他にいらっしゃれそうな方にはお声掛けいただけるとありがたいのですが」
 「そうですか、そうしましょう」と彼は言った。急(せ)いているようだった。「他に来そうな人は心当たりがないけれど、もしいれば」
 彼の声色を聞いて、私は疑念を抱いた。
 「もちろんあなたはいらっしゃるんでしょうね」
 「ええ、行きたいのはやまやまなんですが。僕の方の用件は――」
 「待ってください」と私は口を挟んだ。「いらっしゃるとおっしゃればいいのに」
 「あの、実はですね、私、今、他の何人かとグリニッチ(訳注:コネチカット州にある高級住宅地)におりまして。明日は、皆の手前上、抜けるのは難しそうです。実は、ピクニックのような催しがありまして。もちろん、何とか抜けられればいいと思っていますよ」
 私は堪(こら)えきれず、「へッ!」と声を上げた。相手は私の声が聞こえたに違いない。きまりが悪そうに、さらにこう続けたからだ。
 「用件はですね、忘れてきた靴のことなんです。執事に言って送ってもらえるとありがたいんですが。テニス・シューズでして、それがないと困っちゃいましてね。滞在先の宛先なんですけど、B. F.――」
 名前の続きは聞いていない。私が受話器を置いたからだ。
 その電話の後、私はギャツビーにある種の情けなさを感じた――私が電話した別の紳士は、ギャツビーは「自業自得だ」と仄(ほの)めかした。けれども、非は私にある。彼は、ギャツビーに供された酒の力を借りて、最も辛辣にギャツビーを嘲(あざけ)っていた者のうちのひとりだったからだ。電話をするべきではなかったのだ。
 葬儀の朝、私はニューヨークまでマイア・ウルフシャイムに会いに行った。そうしない限り、彼には連絡がつけられないように思われたからだ。エレヴェーター・ボーイの助言に従って、私は事務所の扉を押し開けた。そこには『鉤十字持株会社』と書かれてあった。最初は、中には誰もいないかに思われた。けれども、返事も聞こえないのに、私が何度か「こんにちは!」と声を上げていると、仕切りの後ろで口論が始まった。そして今や、美しいユダヤ人女性が室内の扉のところに現れた。彼女は、敵意に満ちた真っ黒な瞳で私を点検した。
 「誰もいませんよ」と彼女は言った。「ミスタ・ウルフシャイムはシカゴに行きましたから」
 前半は明らかに事実ではなかった。誰かが中で、音の外れた『ロザリー』を口笛で吹き始めていたからだ。
 「ミスタ・キャラウェイがお会いしたがっているとお伝えいただけませんか」
 「まさかシカゴから連れ戻せとでも?」
 この瞬間、紛う方なきウルフシャイムの声が、扉の反対側から「ステラ!」と言うのが響いた。
 「机でお名前をご記入ください」と彼女は手短に言った。「戻りましたら、お渡ししますから」
 「でも、ここにいらっしゃるのは分かってるのに」
 彼女は私の方に一歩詰め寄り、憤然として、腰にやった両手を上下させ始めた。
 「あんたたち若い男は、いつでも構わず押しかけてくる」と彼女は叱責した。「うんざりしてるのよ。私があの人は今シカゴだと言ったら、シカゴにいるのよ」
 私はギャツビーの名を出した。
 「え、え!」彼女はもう一度私を見た。「今しばらく――お名前は何とおっしゃいましたっけ?」
 彼女は姿を消した。少しして、今や、マイア・ウルフシャイムが厳かな面持ちで立っていた。彼は両手を差し出し、私を事務所へ通した。恭(うやうや)しい声色で、今は自分たちにとっても辛い時であると話し、葉巻を勧めてきた。
 「初めてあいつに会ったときのことが思い出されるよ」と彼は言った。「除隊したばかりの若い少佐でな、軍服は、戦争でもらった勲章でいっぱいだった。すっからかんで普通の服が買えなくて、ずっと軍服を着なきゃならない有様だった。初めて会ったのは、あいつがワインブレナーのビリヤード場に入ってきたときだった。四十三丁目にあるんだけどな。それであいつ、『仕事をください』と言ってきたんだ。二日間何も食べていないってことでな、『昼食をご馳走してやろう』と俺は言ってやったよ。あいつ、半時間で四ドル分以上も食った」
 「仕事をあてがってやったんですか?」と私は尋ねた。
 「仕事をあてがう!いや、俺があいつを『作った』んだよ」
 「ああ」
 「俺があいつをいちから育て上げたんだ。どん底から育て上げてやったんだよ。あいつが素晴らしく格好良くて紳士然とした若者だってのはすぐに分かった。オッグズフォードに行っておったと話してきたときには、俺は『この男は使える』と思ったよ。在郷軍人会に登録させてな、高い地位につけた。すぐに、オルバニーにいた俺の客のために仕事をしてくれた。俺たちは、万事そんなふうに親密だったよ」――彼は球根のように膨らんだ指を二本立てた――「いつも一緒だった」
 私は、二人が共謀してやったことには、1919年のワールド・シリーズで八百長を仕掛けたというのも含まれていただろうかと訝った。
 「ギャツビーは亡くなりました」と少しして私は言った。「一番の友達だったとのことですから、きっと午後の葬儀にはいらっしゃるおつもりですね」
 「伺いたいのだが」
 「なら、いらっしゃったらいい」
 彼の鼻孔の中で鼻毛が微かに震えた。彼は首を振った。目には涙が浮かんでいた。
 「行けないんだよ――この件に巻き込まれるわけにはいかない」と彼は言った。
 「巻き込まれるも何も、みんな終わったんですよ」
 「人が殺されたってことになると、俺はどういう形であっても関わり合いになりたくないんだよ。そういうのからは距離を置くことにしている。若いときは違ったよ――友達が死んだら、そいつがどういう死に方をしてようと、最後まで傍についておいてやった。感傷的だって思うかもしれんけど、最後の最後までな」
 彼は、彼なりの理由で葬儀には出席しないと決めているのが分かった。それで私は立ち上がった。
 「あんたは大学出か?」と彼は唐突に私に尋ねた。
 しばし私は、彼は「ゴネグション」の話をするのかと思った。けれども彼はただ頷いて私の手を握った。
 「友情ってのは、相手が生きてるうちに示しておきたいもんだな。死んでからじゃなく」と彼は言った。「相手が死んだ後では、何もかもそっとしておくのが俺の信条だ」
 事務所を出たときには空は暗くなっていた。小糠雨(こぬかあめ)の降る中、私はウェスト・エッグまで戻った。着替えをして隣の邸に行くと、ミスタ・ギャツは昂奮した様子で玄関ホールの中を歩き回っていた。息子への、そして息子の所有する物への誇りはどんどん膨らんでおり、今では彼は私に見せる物があった。
 「ジミーがこの写真を送ってくれたのです」と彼は言って、震える指で写真を取り出した。「ご覧なさい」
 邸の写真だった。角のところは傷んでいたし、多くの人が手に取ったらしく、薄汚れていた。彼は熱心に、あらゆる細部を私に示してくれた。「ご覧なさい」と彼は言って、私が感服しているのを確かめようと私の目を見入った。頻繁にその写真を人に見せていたようで、邸そのものよりも写真の方が、彼にとっての現実になっていたように思われる。
 「ジミーがこれを私に送ってくれたのです。本当にいい写真だと思います。よく撮れている」
 「そうですよね。最近は彼とお会いしましたか?」
 「二年前に会いに来てくれて、今私が住んでいる家を買ってくれたんですよ。もちろんあの子が家を飛び出してからは縁が切れていました。でも今ではちゃんと訳が分かるんです。目の前には未来が輝いていたんですから。成功してからは、私には優しくしてくれたものです」彼は写真を財布にしまうのを渋っているようだった。しばらくはずるずると私の目の前に写真を掲げていた。そのようにして財布をしまうと、ポケットから『ホパロング・キャシディ』と題された、ぼろぼろになった本を取り出した。
 「ご覧なさい。これは、あの子が小さかった頃に持っていた本です。ご覧になれば分かりますよ」
 彼は裏表紙を開き、私が見られるように向きを変えてくれた。巻末の白紙のページには活字体で「時間割」と書かれてあった。日付は1906年9月12日で、詳細は以下のようであった。

    

  • 起床 午前六時
  • ダンベル体操と壁登り 午前六時十五分 ー 六時三十分
  • 電気などの勉強 午前七時十五分 ー 八時十五分
  • 仕事 午前八時半 ー 午後四時半
  • 野球・その他スポーツ 午後四時半 ー 五時
  • 弁論の練習、風格を身につける 午後五時 ー 六時
  • 必要な発明を勉強 午後七時 ー 九時

  日々の決意

  • 『シャフターズ』や『……(判読できない)』で時間を無駄にしない
  • 煙草はもう吸わない。噛み煙草もしない。
  • 二日に一度は風呂に入る
  • 一週間に一冊、ためになる本か雑誌を読む
  • 週に五ドル三ドル貯金
  • 両親にもっと良くする


 「たまたまこの本を見つけたんです」と老人は言った。「これをご覧になれば、お分かりになるでしょう?」
 「ええ、よく分かります」
 「ジミーは人に先んじると決めていました。こういうのだとか、他にも、とにかく常に何か決意を持っていました。あの子が、自分の人格を高めるってことについては一家言(いっかげん)を持っていたことにはお気づきでしょう?そういうことに関しては、とにかくいつも素晴らしかった。一度など、私の食事の仕方が豚みたいだと言ったことがありましてね、ぶん殴ってやりましたよ」
 彼は本を閉じるのを渋っていた。それぞれの項目を読み上げ、私に熱い視線を送った。彼は、私がその時間割と決意表明を、私自身のために書き写すのを期待していたのではないだろうか。
 三時少し前に、ルター派の牧師がフラッシングからやって来た。私は、他には車は来ないだろうかと窓外を見遣り始めた。ギャツビーの父親も同じようにした。三時が過ぎ、召使いが入って来、玄関ホールに立って葬儀が始まるのを待ち構えた。ギャツビーの父親の目は落ち着きなく瞬(しばた)き始めた。彼は不安そうに、落ち着かない様子で雨の話をした。牧師が腕時計を何度か確認した。それで私は彼を部屋の隅に連れて行って、あと三十分だけ待って欲しいと頼んだ。けれども、それでもどうにもならなかった。もう、誰も来ることはなかったからだ。


 五時頃、葬列(車が三台だけだった)は墓地に着いた。しっぽりとした霧雨の中、車は門扉の前で停まった。先頭は霊柩車で、恐ろしいほどに真っ黒で、恐しいほどに濡れていた。その次にミスタ・ギャツと牧師と私が乗ったリムジンが続いた。しばらくして、召使いが四人か五人とウェスト・エッグ村からやって来た郵便局員を乗せた、ギャツビーのステーション・ワゴンがやって来た。どの車輛もびしょびしょに濡れていた。私たちが門扉を通って墓地に入って行くと、別の車が停まり、誰かが、ぐちょぐちょに濡れた地面をぱちゃぱちゃ音を立てて歩み寄ってくるのが聞こえた。私は周りを見た。三ヶ月前にギャツビーの邸の書斎で蔵書に驚嘆していた、あの梟眼鏡の男だった。
 それ以来彼を見たことはなかった。どのようにして葬儀のことを知ったのかは分からない。私は彼の名前すら知らないのだから。雨は彼の分厚い眼鏡を濡らした。彼は眼鏡を外してそれを拭い、墓碑に掛けられた帆布が引かれるのを見ていた。
 それから私は、ギャツビーのことを考えようとした。けれども、彼はすでにあまりに遠くに行ってしまっていた。私に思い出せたのは、デイジーが弔電も花一本も寄越さなかったということだけだった。もっとも、それで憤りを覚えたりはしなかった。誰かが「神に護らるるは、雨に打たるる死者らなり」と呟くのが微かに聞こえた。それから、梟眼鏡の男が厳かな声で「まことに」と言った。
 私たちはばらばらになって、雨の中を急ぎ足で車に戻った。梟眼鏡が門扉のところで私に話しかけてきた。
 「葬儀には伺えなかった」と彼は言った。
 「どうせ誰も来ませんでしたよ」
 「まさか!」と彼は唖然として言った。「何たること!パーティーには何百人も来ていたのに」
 彼は眼鏡を外し、再びそれを拭った。外側を拭き、内側を拭いた。
 「まったく、情けない」と彼は言った。


 私の最も鮮やかな記憶のひとつは、プレップ・スクール(訳注:大学進学を目標とする学校)から、そして後には大学から、クリスマス休暇に西部に帰郷するときのことだ。十二月のある夕方の六時、シカゴより遠くへ行く人らは、シカゴに実家があってすでに休暇への期待に胸を膨らませている友達数人と、古く仄暗いユニオン・ステーションに集(つど)い、気ぜわしく「またね」と挨拶をしたものだった。どこかの女学校から帰郷する女の子らの毛皮のコートや、息を真っ白く凍らせながらのお喋り、旧友を見つけると皆で頭越しに手を振ったことが思い出される。招待状を突き合わせて、「オードウェイのとこには行く?ハーシーのとこは?シュルツのとこは?」と確認し合ったものだ。皆、手袋をはめた手には、細長い緑の切符をぎゅっと握りしめていた。シカゴ・ミルウォーキー&セントポール鉄道の、霧がかかって暗い黄色の列車は、駅舎の門の傍のプラットフォームにあって、クリスマスそのものみたいに楽しげに見えた。
 列車が冬の闇の中に滑り出すと、本物の雪が――私たちの雪が――傍(かたわ)らに開(ひら)けた。窓は雪で輝き始めた。小さなウィスコンシン駅の仄暗い灯りが遠のき、突然、空気は、鋭く野性的な冷気を帯びた。冷ややかなデッキを通って夕食から戻って来るとき、私たちはそれを深く吸い込んだ。それは奇妙な一時間ほどの時間で、私たちは、自分たちがここの人間なのだという名状しがたい自覚に囚われていた。そうして私たちは再び、この空気の中に跡形もなく溶け込んでしまうのだった。
 それが、私にとっての中西部だ――小麦畑や大草原、失われたスウェーデン人の町などではなく、若かりし頃の心躍る、帰省の列車だ。街路の灯りであり、霜の降りる闇に鳴る橇(そり)の鈴音であり、灯りが溢れる窓から雪面に投げかけられる、柊(ヒイラギ)の輪の影だ。私はその一部である。あの長い冬の感じを思うと些(いささ)か厳粛な気持ちになるし、キャラウェイ邸で育ったことには些かの誇らしさを覚える。(私の育った町では、家屋は今も(何十年も)、一家の名前で呼ばれている。)今では私には、これまで語ってきたことは、畢竟(ひっきょう)西部の話だったのだということが分かる――トムもギャツビーも、デイジーもジョーダンも私も皆、西部出身だ。そしてひょっとしたら私たちは、何かを共通して欠いていたのかもしれない。そのせいで、東部での生活には僅かながら、合わなかったのかもしれない。
 私が東部での暮らしに一番夢中になっていたときでさえ、そして、私が、オハイオ川を越えた、退屈でだだっ広い、膨れ上がった町々――子供と老人を除いて、誰もがひっきりなしに質問攻めに遭うようなところだ――よりも東部のほうが断然良いと一番ひしひしと感じていたときでさえ、東部は私にとって、どこか歪んでいるように思われた。とりわけウェスト・エッグは今でも、私の途方もない夢の中で異彩を放っている。私はそれをエル・グレコが夜を描いた作品に見出すことができる。昔ながらの、けれども同時におぞましくもある家々が、不気味に暗い垂れ込めた空と、光沢を欠いた月の下に潜んでいる。前景では、厳かな顔つきをし、ドレス・スーツを着た四人の男が、担架を持って歩道を歩いている。担架の上には、白いイヴニングドレスを着た、酔った女が横たわっている。担架の脇にだらりと垂らした片手には、宝石が冷たく輝いている。男たちは深刻そうに、ある一軒の家に立ち寄る――それは、間違った家だ。けれども誰も、女の名前を知らない。誰もそんなことを気にしない。
 ギャツビーの死後、私にとって東部は、そんなふうな呪われた場所となった。私の目がどれほど修正を施そうとしても、歪んだままだった。それで、パリパリに乾いた落ち葉を焼く青い煙が宙に昇り、張った紐に掛けられた濡れた洗濯物を風が撫で、固く凍らせてしまう季節に、私は故郷に帰ることに決めた。
 発つ前にすべきことがあった。ひょっとしたら手付かずにしておいた方が良かったかもしれない、扱いにくく不愉快なことだ。しかし私は物事をきちんとしておきたかったし、親切で無頓着な海が、私が残したものを洗い流してくれるのを当てにしたくはなかった。私はジョーダン・ベイカーに会って、私たち二人に起こったこと、あの後で私に起こったこと、その他諸々について話をした。彼女は大きな椅子に身を横たえ、身じろぎもせずに私の話を聴いていた。
 彼女はゴルフ用の服を着ていた。上手に描かれたイラストレーションみたいだと思ったことを憶えている。顎は少し気取って上げられ、髪は色づいた秋の葉の色で、顔は、膝に置かれた指出し手袋と同じ褐色だった。私が話し終えると、彼女は特に意見を述べることもなく、自分は別の男と婚約したのだと告げた。私はそんなはずはないと思った。もっとも、彼女には、首を縦に振るだけで結婚できそうな男が数人はいたのだが。私は驚いたふりをした。束の間、自分は間違ったことをしているだろうかと思った。そして、もう一度素速く全体を考え合わせてみてから、さよならを言うために立ち上がった。
 「でもね、あなたが私を振ったんだよ」とジョーダンは唐突に言った。「あなたが電話で私を振った。今はもう、あなたのことはどうでもいいけど、でもああいうことって私にはなかった。しばらくはちょっとくらくらしたよ」
 私たちは握手をした。
 「そうだ、覚えてる?」と彼女は言い添えた。「車の運転について昔話したこと」
 「いや、どうだろう」
 「車の運転が下手な人が無事でいられてるのは、まだ別の車の運転が下手な人に出会ってないからだって言ったでしょう?私、車の運転が下手な人に出会っちゃったんだね。あんな間違った思い込みをするなんて、私も注意が足りなかったよ。あなたは、正直で真っ直ぐな人だって思ってた。それをこっそり誇りにしてるんだろうとも思ってた」
 「僕はもう三十歳だ」と私は言った。「自分に嘘をついて、そんなことを名誉に思うには、五歳ほど歳を取りすぎた」
 彼女は何も言わなかった。苛立ちを覚えたが、彼女を好きだという気持ちは半分ほどは残っていた。そして、ひどく気の毒に思いながら、私はその場を後にした。


 十月の終わりのある日の午後、私はトム・ビュキャナンと会った。彼は五番街で私の前を歩いていた。警戒を怠らず、ずんずんと歩んでいた。両手は、まるで邪魔者はいつでも弾き飛ばすとでもいうように、身体から少し離れ、顔は、落ち着きのない目の動きと辻褄を合わせるように、鋭くここかしこに向けられていた。彼に追い付くのを避けようと歩みを緩めた矢先、彼は歩みを止め、渋い顔持ちをして宝飾店の窓を覗き込んだ。途端に彼は窓に映った私を見つけ、こちらに歩み寄って来、手を差し伸べた。
 「何だ、ニック?握手をするのも嫌か?」
 「ああ。僕が君のことをどう思ってるか知ってるだろう」
 「ニック、お前は阿呆か」と彼は素速く言った。「ど阿呆かよ。何が気に入らんのか訳が分からん」
 「トム」と私は訊いた。「あの日の午後、ウィルソンに何を言った?」
 彼は一言もなく私を見つめた。そして、あの消えた数時間のことで私が推測していたことは正しかったのだと分かった。私は立ち去ろうとしたが、彼は一歩前に出て、私の腕を掴んだ。
 「本当のことを言っただけだ」と彼は言った。「俺たちが出て行こうとするところに、あいつが玄関にやって来てな、留守にしていると言伝(ことづて)たら、無理やり二階に上がって来ようとしたんだよ。もし、あの車が誰の物か言わなかったら、俺は殺されてた。それくらいに頭に血が上っていたんだよ、あいつは。家にいる間はずっと、手をポケットに突っ込んで、ピストルを持っていた――」そこで彼は挑発するように話を止めた。「本当のことを言って何が悪い?それから、あの男については、自業自得だ。デイジーもそうだし、お前も騙されていたんだよ。それにしてもあいつはすごいな。犬ころでも轢いたみたいにマートルを轢いておいて、車を停めもしなかった」
 私が言えることは何もなかった。そうじゃないという事実は、口が裂けても言えなかったのだから。
 「それから、お前、俺だって苦しかったことが分かってないだろ。なあ、マートルのアパートメントを引き払いに行って、食器棚に犬のビスケットの箱があるのを見て、それで俺は、座り込んで赤ん坊みたいに泣いたよ。ひどかった、全く――」
  私は彼を許すことができなかったし、好きにもなれなかった。ただ、彼の行為は、彼自身にとっては完全に正当化されているのだということは分かった。全く配慮が欠けていた。そして混乱を極めてもいた。トムとデイジーは配慮を欠いた人間だった。――二人は、物事や人々を完膚なきまでに破砕しておいて、そうして、自らの金へと、あるいは、恐るべき配慮のなさへと、あるいは(たとえそれが何であれ)二人を繋ぎ留めておくものへと身を引いた。そして、別の人々に、自分たちの尻拭いをさせた……。
 私は彼と握手した。そうしないことが愚かしく思えたのだ。というのも、私は突然、ほんの子供の相手をしてやっているような気がしたからだ。それから彼は宝飾店の中に入って行った。真珠のネックレス――あるいは単に一組のカフス・ボタンかもしれないが――を買いに行ったのだろう。これで永遠に、私のような田舎者の潔癖とは無縁でいられるわけだ。


 私が発ったとき、ギャツビーの邸には依然誰もいなかった――芝が私の背丈ほどに伸びていた。村には、ギャツビーの邸の正門を通過するときには、必ずそこでしばらく車を停め、邸内を指差さずには承知しないタクシー運転手がいた。ひょっとしたら、事故の夜にデイジーとギャツビーをイースト・エッグまで乗せていったのは彼なのかもしれない。ひょっとしたら、その運転手が話を全部拵(こしら)えたのかもしれない。私は彼の話を聞きたくなかったから、列車から降りるときには彼を避けるようにした。
 土曜日の夜はニューヨークで過ごすようにしていた。煌々とした、目くるめくような彼のパーティーの余韻は今も醒めやらず、彼の庭園からは、音楽と笑い声が、微かに、けれども絶えず聞こえてきたからだ。彼の車回しからは、車が行き来するのも聞こえた。ある夜、そこに本物の車が乗り付けるのが聞こえた。邸に続く階段の前で車のライトが停まったのが見えた。しかし私は詮索しなかった。おそらく、地の果てにでも行っていた最後の客で、パーティーが終わったことを知らなかったのだろう。
  最後の夜は、旅行鞄を梱包し、車を食料雑貨店に売り払うと、出掛けて行って、道半ばで夢を挫かれた巨大な邸を見遣った。白い石段には、どこかの男の子が煉瓦片で書き殴った卑猥な語が月に洗われてくっきりと浮かび上がっていた。私は靴底でそれをごしごし擦(こす)って消した。そうして砂浜までのんびり歩き、砂の上に大の字になった。
 海沿いの大きな別荘のほとんどは今では閉まっていて、『サウンド(海峡)』を渡る一隻のフェリーが仄かに光って動いてゆくのを除いては、辺りに灯はほぼなかった。そうして月が高く昇るにつれ、取るに足りない家々は夜の闇の中に溶けてしまい、かつてオランダの航海士の眼前で花開いたかつてのこの島――新世界と呼ばれた、瑞々しい緑の乳房――が目に浮かんできた。今ではもうなくなった樹々――ギャツビーの邸が建つ前にはそこにあった樹々――は、かつてはひそやかに囁き、人類の最後にして最大の夢に阿(おもね)っていたのだ。というのも、この大陸を前にして、人は束の間うっとりとして息を呑んだに違いないからだ。そして、理解の及ばない、求めてもいなかった審美的瞑想の中に放り込まれたに違いないからだ。歴史において人が、驚異に打ち震えられるという資質を倦(う)ませぬ存在と相対(あいたい)したのはこれが最後であった。
 そうやってそこに座り、旧き知られざる世界のことを鬱々と考えながら、ギャツビーが初めてデイジーの邸の桟橋の端に緑の灯を認めたとき、彼の胸を衝(つ)いたはずの驚きに想いを馳せた。この青い芝までの道程(みちのり)は長かった。夢はもうすぐそこにあるから、まさか掴みそこねることはあるまい――彼はそう思っただろう。けれども彼には、もはや夢は後方に退いてしまったことが分からなかった。街より向こうの、巨大な靄(もや)に包まれたどこか後方に――合衆国の暗い広野が夜の下で絶えず拡がりゆく場所へと――退いてしまったことが。
 ギャツビーは緑の灯を信じていた。年を経るほどに私たちの眼前で退行する、「悦びの果ての」未来を。あのとき私たちはそれを掴み損ねた。でも大丈夫――明日はもっと速く走ろう。両腕をもっと遠くに伸ばそう……。そして、いつか晴れた朝に――
 だから私たちは漕ぎ続けるのだ。流れに逆らって進む舟のように、絶えず過去へと押し流されながら。

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